衝撃報告!受験戦争のゆがみ

「たけしのTVタックル」2/21付  

 世界の中での日本の中学生の数学力は高いと言われているが、文化的な見地から見ると低い。

 二年後には小学校の教育課程の中から、四桁の足し算や不等号・仮分数・台形の面積ほかの6項目が削られ中学校に先送りされる。

今の大学は入るに厳しく出るのは簡単と言われ、2〜3の受験科目のみを学習すれば合格。多少の変革はあっても根本的な基礎学力不足は解決されていない。また落とす為の試験である以上難問奇問が多く出され、答えを導く力はあっても、総合的な学力はどんどん低下してきている。

 学校で習う事、特に数学は、実生活で役立つ事があまりないと思われる事が多い。しかし、学習する過程の中で、倫理的思考が身についていく。

 ゲストの一人早稲田大学の大槻教授は、現在の受験(大学)が引き起こす教育の歪みについて指摘し、改革を唱えていた。

 今学校教育は様々な問題を抱え、教育の積み残しが多く見られるようになりました。その為、内容を薄め基礎学力だけでも身に付けさせようという方向に向かっています。

 が、どんなに子供の数が減り大学が入りやすくなっても皆が目指す学校は相変わらず狭き門で、上を目指す子とそうではない子との格差はどんどん広がります。このままでは、どこかの国のように将来の職業が小学校卒業時にある程度決定されてしまう事になりかねません。

 算数の内容が薄まる事で、「物事の本質を見極める力が無くなる」事が指摘されていましたが、これは概念そのものです。

 算数や数学で習った事は日常生活に直に役に立つ事はほとんどありませんが、物事を概念化して捉える事ができるようになることの意味は深いのです。本質を捉えたり論理的な思考が出来ないと、枝葉末節に囚われ安易な行動を起し短絡的な思考の結果とんでもない事件を起す人にならないとも限りません。

 昔はいかにも悪人と云ったタイプの人が凶悪な事件を起こしました。が、今の世の中はその辺にいそうな人間が引き起こす『どうして?!』と思うような事件の方が多いのではないでしょうか?これは学校教育の中で社会生活を送るだけの思考力を持った人間を作る力が弱まっている証とも思えます。

 学校教育の歪みから、学習する事自体が選択の自由の一つになってきています。もちろんいじめなどで学校に行く事が出来なくなった子供はフリースクールなどの選択肢が残されてしかるべきです。が、最近はちょっとしたことで学校を辞め学校に通わず自由気ままに生きる者もいます。

 以前見た「ここがへんだよ、日本人」という番組の中で、不登校の子供の一人が「何のために生きているの?」という質問に対し、「暇つぶし!」。「だいたい20歳になったから25歳になったからと自立しなければいけない、という考えそのものがうざったい。」と答えていましたが、『何をか言わんや』あきれてものも言えません。

 このような考えを子供に持たせる親そのものが、せめられるべきだと私は思います。人間の幸福の定義はいろいろあります。お金や名誉、価値観によりさまざまです。が、多くの偉人は、人のために尽くしたり社会に貢献できる幸せを口にします。凡人として生れた人間であっても、少なくとも世の中や家族に迷惑をかけず一人の人間として自立するのが、最低限果たすべきことではないでしょうか。また、そのような人間になるべく養育することが、親として果たさなければならない務めだと思います。                   

                       (文、福岡潤子)