「家庭」

「朝まで生テレビ」3/31深夜  

 各方面の専門家12人での討論会。主にひきこもりについて語られていた。引きこもりについての定義は今は無いとの事。家庭特に母親だけに責任が負わされる傾向あり。父親の存在感のなさが指摘されていた。

「幼い時から社会を意識させる。皆で食事をする時や出かける時に一人だけ参加しない、という事は我が家では許されない。説得して参加させる(アグネス・チャン発言)」

 親の愛情に問題があるとする意見とそうではないとする意見。「せっかく訪問しようと出かけているにもかかわらず、来ても子供が会おうとしない、又は会いたくないと言っているからと、キャンセルしてくる親がいる(引きこもりの子供を自宅訪問してカウンセリングする専門家の発言)」

暴力を振るわれる事で「子供が怖い」と感じる親がいる。親は過保護無干渉という傾向がある。無干渉なのは、子供が干渉されるのを嫌がり暴力をふるうから。

「教師になって6年目ぐらいは一番展望があったが、今は現実がどんどんひどくなっている。以前はこちらが勉強させてもらうぐらいの親がいたが今はそうではない現役高校教諭)」

外国には宗教(キリスト教など)があり、日本の戦前には天皇主義(教育勅語など)が規範としてあった。戦後民主主義が悪かったのか?

…人前で意見を言えない子…。ごちゃごちゃした関係を否定した結果としての今の世の中。けんかをしたあとに仲直りすることを体験しないで大人になる。ひきこもりにならないためにどうしたらよいのか。なった後どうしたらよいのか。…

 

 正直言ってあまりの眠さに後半よく覚えていないのですが、司会の田原総一郎氏を始め参加者が皆「社会の最小単位としての家庭」に対し危機感を持っていることだけは確かで、どのような切り口から現状を打開したらよいのか、考えあぐねているということだけは感じられました。

 ずばり、私がその場にいたら「今の教育では最低限のモラルも身につかず大人になる子供たちが社会に送り出されていると云う事が問題。まず、両親がその子の親として自覚を持ち、体を張ってでもその状態から抜け出せるよう対峙すべきだ。」と言います。

 3月1日付けの「受験戦争の歪み」でもふれましたが、少なくとも世の中や家族に迷惑をかけず一人の人間として自立することはその子を世に送り出した親として最低限すべきことだと思います。が、ひきこもりの子の親はそれを果たしていません。

今回問題になったひきこもりの子供たちの中には、人とは接しないが生活は親掛かりで生きている子たちがいます。つまり、自宅でテレビやビデオ・ゲームなど自分の好きな事をして時間をつぶし自立しないまま人生を送っている2030代の子(?)達のことです。確かに病気の域に達しカウンセリングを受けなければならないレベルの子もいるでしょう。でも、そうではないのに内面的成長を計る努力や人とふれあう体験から逃げている青少年が現実に存在し、その上思い通りにならないと家族に暴力をふるう子がいるからこそ、このような取り上げられ方をするのです。

家庭内暴力の持つ意味について考える事が、逆に解決になると思います。

確かに家庭内暴力という形をとりながら子供たちは次にステップに移行しようともがいていると、言えます。でも、どんな形であっても暴力は許されるものではありません。

まして親が我が子を怖がったり制止できないためその行為を黙認したり言いなりになっていたとしたら、その子の行為や生き方を結果的に肯定してしまう事になります。「人に危害を与えるなど社会的に見て犯罪となる事は、たとえ学校や家庭内であってもやめさせる」べきなのです。

自分より背も高くなり力もある我が子に暴力を振るわれながら、毅然とした態度を取ったり暴力を止めさせるのは大変な事です。でも暴力の意味を考えた場合、今すぐ止めさせることが先決です。

家族の中で誰かが誰かの奴隷になっては、家庭とは言えません。幼い頃、特に反抗期を迎えた幼児に手を焼きその場しのぎで我が子の言いなりになったり、コミュニケーション能力の不足からお互いに気持ちが通じ合わないままになることが、このような問題を引き起こしていると私は考えます。

青少年犯罪についていろいろな意見がありますが、成長過程にある青少年だからこそ誤った学習(人間として許されない事が許されてしまう)はさせてはいけないのです。

 

「発展途上国など貧しい国の教育は簡単。食べられるようになるために、良い生活が出来るようになるために、ということで済む。が、衣食足りてしまうと、難しい(司会の田原総一郎氏)」。確かに衣食足りれば親の苦労している姿にふれる機会も少なく家族で力を合わせる機会も減ります。そんな中で多様な価値観が生れ人生の目的や過ごし方が多様になるのは当然だと思います。

が、その事自体が問題ではないのです。少し大げさかもしれませんが、「今、警察不祥事を始め背任罪などが跡を絶たないなど、社会全体が信頼に足ると言えない現状がある。そして身の回りでは、多様な価値観が否定され、いじめや虐待など人間としてしてはいけない事をしてしまう人達がいる」という事が問題なのです。

戦後の日本は皆が同じ方向を向いていました。その事が教育の制度だけではなく、中身にも大きな爪あとを残しています。そしてバブルがはじけたことで、空中分解しているのが実情です。教育改革は今後何年もかかると思いますし、良い結果が得られる方向に変化していくかさえ疑問です。

が、その間にも幼児は着実に青少年に成長していきます。つまりは社会や学校の変化を待たず、家庭内でやれることをやっていかないと、いつ我が家にこのような問題が起きてくるか解らないと云う事になります。

ひきこもりという形ではなくても良い意味での危機感を持ち、家庭内でやっていけない事をした時はキチンと叱ることから、まず始める必要があります。

                       (文、福岡潤子)