読売新聞 『成人の日に』 1月13日掲載

『人生は一つではない』東大名誉教授・養老孟司氏

(抜粋)

 …客観的にいうなら、当時の私を連れてきて、いまの私と比較することはできない。すべては「いまの私」の意見に過ぎないのである。いまの私にはいくつかの過去がある。複数の人生を経てきた。

それぞれの人生の節目で、私は別人になった。

…必死に生きていれば、自分がひとりでに変わったことに気づく。それに気づく暇すらないかもしれない。もし自分が昔からまったく変わらないとすれば、それは怠けているだけのことである。

…カフカに「変身」という小説がある。朝起きてみると、自分が等身大の虫に変わっている。にもかかわらず、本人は自分は自分だと、相変わらず思っている。…意識はつねに「同じ自分」だという。そんなことを信用してはいけない。いまの世の中、つまり情報化社会を生きていると、そこで根本的にだまされる。

…昔の人は人は変わるものだと知っていた。だから君子豹変だったり、男子三日会わざればかつ目して待つべしだった。

…若者は変わる。それを昔は「若者には未来がある」といったのである。いまが閉塞しているのは、いまの自分が「そう思っている」だけである。八方塞がりなら、俺が行って開いてやる。若者ならそう思って当然なのである。

 

 同じ紙面に、さだまさし氏が「本音建前の二重構造・大人不信を生む」、東京学芸大の山田昌弘氏が「大人と子供のいいとこ取り許す日本、社会責任果たす充足感教えなかったつけ」と提言を寄せていました。

 ここから感じるのは、いまの若者は大人にとって決して褒められる存在ではないという事です。それが証拠に、近年学校教育の改正?が盛んに行われ、学校五日制を始め、公立校の小中一貫化や差別化を図るための専門校化が行われる事になった、と枚挙に暇がありません。また、不登校を減らすための数知目標新聞に載るなど、ある意味、これほど教育が揺らいでいる時代はないとも言えます。

 そんな時代に、今、皆さんは将来の成人を育てていることになります。養老先生の言葉を借りれば、子育てをする前の皆さんと母親になった皆さんとでは、違う人生を歩いていることになります。

 それなのに両者を比較し『(以前のように)行きたいところに行けない』『やりたい事ができない』と言うのは愚かな事です。なぜならすでに違う自分になっているのですから。

 今のあなたは、母親にならなければ知らずに終わってしまった喜びや発見が数多くあることを感じているはずです。でも、もしそうでないのなら、今すぐできなくなったことに目を向けるのではなく、母親になったからこそ知った喜びを挙げてみることです。そして、その数が少ないようならあなたの努力が足りないことになります。

 今の人生を精一杯生きる、それが次の人生をより良い物にしていくことは間違いありません。そのためには違う自分になる努力も必要です。そして努力するその姿が、我が子に対しそのように生きることを無言で伝えている、とも言えます。自分の今を前向きに捉え努力することが生きる力の源であると言っても言い過ぎではないように思います。

                    (文、福岡潤子)


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