2月中旬の金曜日、職場体験として松戸市立のある中学校の学生二人を受け入れました。入れ替わりに、日本テレビ(夕方のニュース)の特集で受験を取りあげるとのことで年長児のクラスの取材も受けました。その方はNHK教育テレビの製作も手がけているとの事で、お母様方の取材後2時間以上いろいろな質問も受けました。 もともと一般的な意味での受験塾ではないとお断りしたのですが、過去にマスコミで取り上げられたオムニパークの記事を見て是非にとのことでした。最終的にその事を理解しお帰りになりましたが、質問に答えているうちに私の中での受験に関する意識が一層明確になりました。 今の世の中経済的に余裕がなければ私学の受験はできません。そして、一般的に社会的地位にある職業(医者・弁護士等)は高学歴でなければならず、そのための学校(私・国立)に入るには受験塾に通わせることのできる経済力が親の側になければなりません。 それらの職業にはそれなりの人格が必要です。が、きちんと育った子どもが私学に集まっているかというと、そうとも言えません。もちろん、公立ほどピンからキリまでいるわけではありませんが、入学考査に受かったからと言って、人間的に素晴らしい子とは限らないからなのです。 雑誌プレジデントでは、「EQは自分自身および、ほかの人たちの感情を認識し、自らをモチュベートし、自らの感情とほかの人たちの感情との関係を効果的にマネジメントするためにに必要とされる能力」と定義されています。 他者の信頼を勝ち取る。相手の立場を理解する。政治的動きを理解する。変革を推進する。人を育てる。EQを発揮することが好業績に直結するとありました。 受験塾(ペーパー)で育つものは、物事をパターン化して認識する能力と言っても過言ではありません。ペーパー重視の頃は段ボール箱何箱で合格すると言われ、それらをこなすことに親は躍起となり、子どもはそれだけこなせば自分のわがままが聞いてもらえるという図式が成り立っていました。 そのような考査で選別された子どもは入学後好ましいと言えなかったという結果が、今日のような面談方式でのテストや指示行動(聞く力・考える力・行動する力)、両親面接重視につながっているといえます。 古く「感情は知性の邪魔をする」と対立した形で捉えられていましたが、今は「感情で彩られてよりよく判断できる」と言われていると、プレジデントにありました。IQだけが高くても社会で生きられないことは明白です。 将来大きくなった時に「自分を活かし人を認める人間」になってほしい、そうなることが幸せ、と私はお話してきましたが、この表を見るとEQそのものだと言えます。 自分を活かすためには自分自身を知っていなければなりません。表現できなければ自分のよさを他人に知ってもらうことができないからです。しかし、いくら自分をアピールしても、その方法が独りよがりでは誰も相手にしてくれません。自分自身が人に対し誠実で信頼を得ることのできる人であることが大切です。 そのためには、自らの感情をコントロールできる事が社会人としての必要最低条件です。また、自分の夢を実現するためには、強い意志と共に自己確信や楽観的見方も不可欠です。 人(他人)を認めることができれば、自分一人の力だけではなく人の力も自分に足すことができ、他人の言ったことが良きアドバイスになったり気持ちがくじけそうになった時に役立ったりします。 作家や芸術家のように好き嫌いが激しかったり、人と違った視点で眺めることが必要な職業もあります。が、そう云った職業であっても、まったく人と接せずに生きることはできません。社会的コンピテンスが身につくには人に対し関心が持てることが重要です。そのためには、幼児期に人とコミュニケーションを持つことを楽しめる子にしておくことが、最低限必要だと言えます。
(文、福岡潤子)
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