親子・兄弟

 世間を騒がせている若貴兄弟を始めとして、ここ1〜2週間、子どもが両親を殺した事件や弟が兄を殺した事件など、大小はあっても家族間のトラブルが多くなってきていると感じます。家族であるということは、互いに許せる部分が大きいかわりに、他人以上に容赦のない面もみられます。

 ある意味、家庭は、「精神的な傷をいやす場所」であると共に、成長のための「葛藤の場・トラブルの場」であったりもします。特に父親と男の子、あるいは兄弟間では互いを意識する部分が強くなり上手に導くことが必要だ、と言えます。

 家庭の崩壊につながるような子育てをしようと思って育てる親はどこにもいません。が、心のどこかで、『我が子がちゃんと育たないはずがない。世にある事件はよそ事だ。』との意識があり、『子どもは本来大人の言うことを聞かないもの。が、ある程度の年齢になれば、解るようになってくれる』という幻想を抱いているとも言えます。

その結果、子どもの問題点を過小評価し、先送りしてしまいます。その結果、親子共々どうにもならなくなってしまうというパターンが見えます。

そのような場合、子どもは精神的成長をせずに発育、少しのきっかけで挫折の上、立ち直れなくなえうケースが多く見られます。他を攻撃することで、自分の精神を保っている人間も出てきました。そのような人間は自分より強い存在のものには決して近寄らず、自分より弱い存在のもののほうに寄って行き攻撃します。

それらに共通しているのは、自己コントロールできずに育つ点と、人間らしい心が育っていないと云う点です。それは、子どもを大事にすることの意味をはき違えた親の元で、本来の一人の人間として認められずに育ったことが、一番の原因だと私は思います。子どもでも一人の人間だと云う事は、自分の意思があると云う事で、親の思い通りに育たなくて当たり前なのです。でも、大人として、子どもの言動が違うと感じたら、親の価値観をきちんと我が子に伝える義務があると、私は考えます。

子どもの世話をする、あるいは高い教育を受けさせることだけが親のすべきことではありません。親に対し素直な子もそうでない子もいますし、子育てのスキルのある親もない親もいます。親にとって性格的に合う子も合わない子もいます。が、どんな子に対しても必死に子育てすることが、「子育ては親育て」につながっていくのではないでしょうか。共に歩み寄り、互いを思いあうことで、家族が作られていきます。兄弟・姉妹、一人一人の特性・年齢にあわせ、真剣に向かい合うことが大切です。『生まなければよかった。』と後悔しないよう、幼児期に悪い芽を摘み取り、良い芽を育てる目を養っておきましょう。

                        福岡 潤子