コーチングキャラバン春高バレー(8/18・フジテレビ放送)

昨日テレビで高校生達のドキュメントをとりあげていました。オリンピックに出た一流の先輩達が、春高バレーを目指す生徒を指導をするのですが、先輩達が一様に取り上げていたのが「心の問題」です。

春高バレーは、負ければその場で去らなければなりません。つまり、一回一回の試合に集中できなければ、優勝する事はできないのです。これは、日頃から生徒一人一人が、自分の中で高いモチュベーションを維持できていなければならないことを意味します。

テクニック的なものの指導はすぐに改善されますが、心の問題はそうはいきません。

ある高校生達は、教師や怖い先輩がいるところではがんばりを見せるのですが、いないところでは手抜きをしていました。そこで先輩が言ったのは「おまえたちはやらされている。自分から勝ちたいと思っていない」。 

またある高校では皆に恐れられている監督について、後輩に「あの監督に勝つことは自分に克つこと。つまり、あの監督に勝つということは自分に克つということ」と言っていました。

中学の時に全日本メンバーに選ばれたある高校生は、今回自分がリーダーとしてチームをひっぱっていかなければならない立場でありながら、腰をいためてしまいました。バレーの先輩の一人でもある母親が腰をかばう我が子の姿を見た時、「気持ちが弱い」と叱っていました。その後の試合で負けが決まりそうになった時、その高校生は見違えるような動きを見せました。痛み止めの注射を打ちながらですが、力を発揮しなければいけない時に発揮できなければ、その時々の勝利を得る事はできないということで、気持ちがきりかわったのだと思います。結果的に試合には負けてしまいましたが、勝ったチームに対し本人が言ったコメントが「向こうのチームの方が、気持ちが強かった」というものでした。

自らがやる気を持ち、それを維持し続けることができなければ、将来何をしても中途半端に終わってしまうと言えます。高いテクニックを持っている者同士の間でも、より一層の意思の力と実践し続ける力が必要だと改めて感じました。

 やはり昨日、たまたま見たNHK「英語でしゃべらないと」では、京都の文化についてふれていました。外国人の方が骨董品を通し「日本の文化は無作為だ」とおっしゃっていました。無作為は究極の作為だと感じながら見ていたところ、最後にレギュラーのお一人がぽつんと同じことをもらしていました。

 またある外国の方は、禅を通し「雑念のない世界で暮らすようになったことで、充実して満たされている感覚がある」と、おっしゃっていました。

 またある方は「実践」が大事とおっしゃっていました。紹介された外国のどの方たちも所作が自然体で、生き方そのものが縛られていないという印象を持ちました。が、そこに至るまではたくさんの実践があることは、画面から伝わっていました。

 一人一人の人間が目指すところは違っても、怠けていてはそれを手に入れることはできません。子ども達が将来、本当にやりたいことを見つけた時、できればその時実践できる力を身につけておいてあげたいとつくづく感じました。

 

 ところがその時点で、実践する力が身についていないケースをよく見かけます。「やればできる子」というのが、まさにそれです。でもやらないのはやれないからです。つまり、気持ちがついていかないからだと言えます。なぜ、そのような子に育ってしまうのでしょうか。

 それは幼児期に日々の暮らしの中で「チャンスは何回でもある」と学んでしまうからです。良い意味で次回に活かそうと思うのではなく、ぎりぎりのところまで自分のしたいことを優先させ、やりたくないことは先送りさせるということです。

これは、「ごめんなさい」と言えば許してもらえたり、心からそのように思っていなくても怒られたことに対し『まずいぞ』と思っていれば許してもらえる、という体験からきているのです。

また、お母様方が叱っている間も、子どもはやりたいことをやめているわけではないと云うことからもきています。

このことにより、『自分の手に入れたいと思うものはすぐに大人の言うとおりにしなくても、だいじょうぶ。謝ったり、殊勝な態度(ふり)をしていれば、手に入れられる!』と間違った学習をしてしまうのです。

 これでは、いつまでたっても子ども自身が怠け心をコントロールできるようにはなっていきません。そして、「思い通りにならないと不満に感じる」ことにつながり、不満を持つことでぐずぐず言ったり泣くといった図式を作ってしまうのです。

 どうぞ子どもとのやり取りの中で、子どもが何を学習しているのかを常に考えるようになさってください。また、自らの意思でやっていると本人が実感できるような配慮をするようになさってくださいませ。

                        福岡潤子