最近あるゲームメーカーの「大人のDS脳トレーニング」を始め、各テレビ番組でも脳を活性化する「アハ体験」といったことが取り上げられています。近年、脳の仕組みが解明されてきているということもあるかもしれませんが、脳も、ジムに行って体を鍛えるのと同じような感覚でトレーニングする時代なのかもしれません。でも、最初に出た何歳という数字がトレーニングすることで小さな数字になったとしても、それで何かが変ったということは誰も言っていません。 一般的に、頭がよいかどうかは、学校の成績あるいは知能指数が高いかどうかで表されます。が、今日では、心もまた脳の一部だと言われ、EQで現されています。この部分は、たんに知識が多いかどうかではなく、人とのつきあいをいかにうまく処理できるかに重きがおかれています。 実際、社会にでると、いろいろなことが人よりできるということより、人と上手く関われるかの方が重要で、学生時代は優秀だと言われた人間が社会で生きていかれないといったケースも、今日では珍しくありません。 あるホームページで「EQとは、自分の感情(Emotion)を上手にコントロールする能力です。」「EQ度の高い人は自分の生活に満足しているという調査結果がありました。」また、「EQの高い人はIQが高いが、IQが高いからといってEQが高いとはかぎらない」と書かれていました。 進学校の頭が良いと言われていた子どもが人生を棒に振るような事件を起こすたびに、その後自分はどうなるのかを考えれば起こすはずのない事件だと思います。 つまり、感情に流されて自分に不利な事件を起こしてしまうのは、決して頭の良い人間だとは言えないからです。 昔は「スポーツ選手は頭が悪い」と公言してはばからない人がいましたが、今は、スポーツ選手は、スポーツ選手特有の特殊な頭の良さがあることが知られてきました。 一口に頭や脳と言っても部位によってさまざまな働きがあります。どこかの部分が皆よりずば抜けていれば、それぞれの分野で認められることになります。が、天才を除くその他大勢の人間にとっては、多少脳年齢が人より若くても、その事自体、なにか素晴らしいことを意味するわけではありません。 通常、計算力はコンピュータの方が上です。あらゆる家電もコンピュータがないと動かない今日、コンピュータが完璧でなければ大問題です。が、人間はそうではありません。 失敗することも含め、個々が違うことを考え、感じている、そのこと自体が楽しいとも言えるのではないでしょうか。 今、幼児期に目にしたり耳にしたり体験したりしたことで、子ども達は自分の個性を作り上げています。 東大を出て破滅した人がいますが、真に頭が良ければ、自分の周りの状況判断がもっと早くにできたはずだし問題解決能力を持って対処できたはずだなどと、凡人の私は考えます。 それより人に愛される個性を獲得した人のほうが、本当は頭が良いのではないかとさえ、思えるのです。 福岡 潤子
|