先週は毎日のように卒園卒業に関わる行事に出席。式に参加するたび、そこにいる子どもたちの成長に感動すると共に、ここまでの成長にかかった時間に思いを馳せるが多くなってきています。それは「目の前の姿に至る時間そのものが命だ」と感じるからです。
その思いを受け取ることの出来ない子どもたちの親は愛情を伝える努力をしてこなかった、あるいはその愛情の意味を理解してこなかったのではないかと思います。 最近は自分とおそろいのブランド服を子どもに与え、着せ替え人形のように楽しんでいる親達が多くなってきていると言われます。事実、給食費は払わなくても高価な服を着せることに意義を感じる親を見かけます。 そのように育てることでどんな人間に育つのか、自分のやっていることの結果に考えが及ばないのは問題です。約束事を守らず、ブランドものを身につけることに一生懸命になる子に育てるということは、極端な言い方をすれば、物質によってのみ自分の存在価値を見出す子になるということになります。たんにおしゃれを楽しめる子とに育つのではなく、ブランド品を身につけるためには援助交際もかまわないという子に育ってしまいかねないのです。 オムニパークの修了式では、たとえ1歳児であってもいつもと違う空気を感じ、一生懸命証書を受け取る様子が見られました。それに引き換え、式に限らず、どのような言動がふさわしいのか分からないという空気の読めない人々の存在にがっかりさせられる今日この頃です。
単に衣服でのみ自分を表現するのではなく、何かの形を見て楽しい・増えたり減ったりしておもしろい・書きたいこと伝えたいことがあり文字にできた、と云った気持ちが根底にあることです。
福岡 潤子
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