職業選択の自由

 昨年末から、テレビ等で派遣切りの話題が途切れることがありません。派遣村の人々へのインタビューで驚いたのは、家族と呼べる人がいたにもかかわらず連絡を取り合っていないということでした。

 また、将来への設計が無く、その日暮しが平気であるという事実でした。皆が皆そうだとは思いませんが、一見まともに見える人々であっても、口からでてくる言葉が、世の中全体や不況のせいにしているのが残念に思えました。

マスコミを含め我々も、わずか数年前までフリーターやニートと称して短期間で仕事を渡り歩く人々を、容認・黙認していたのがうそのようです。

また、ネット難民といわれる若者だけではなく、家族を養う立場の人がリストラや会社の倒産などでワーキングプアと言われる生活を余儀なくされている大変な時代となっています。

もともと成人になるということは、職業を持つことで社会貢献することであり、自立することを意味します。

つまり、社会から孤立したり離れる、親のすねをかじっていつまでも依存することではありません。ところが、そのような人々が増えているというのが現状です。

このような事情からか職業に関する本が売れ、職業が疑似体験できるキッザニアは親たちの支持を得、盛況をはくしています。また、最近は中学生以上で行なっていた職場体験を小学校高学年から行なうなどの動きもみられます。

 このような問題が起こる前、天職と思える職業に出会えた人以外は皆職業をころころ変えていたのでしょうか。

 そうは思えなくても、与えられている仕事の中で遣り甲斐をみつけ頑張ることができる人が多かったのではと思います。

 そこには何がしかの生きがいをみつける能力が必要です。また、失敗したりしてやめたくなっても、それを支えてくれる家族の存在があったからと言えるのではないでしょうか。

 だいぶ以前に地球物理学者の故竹内均氏が「自分の好きなことをして、皆さんに喜んでもらうことができ、それで自分の生活ができることは幸せ」と、おっしゃっていました。

 このままでは「お金がないと好きなものが買えない、お金があれば幸せ 」と言う子どもが増えてしまうのではないかと危惧しております。

 生活を成り立たせるための経済力は必要ですが、人と接して幸せだと思える人になることも大切なことです。

 また、自分の仕事に誇りを持つには仕事に対し誠実であることや自分が人の役に立っていると実感できること、自分が仕事をすることで活かされていると感じることが大切だと思います。

 そのような人間になるのには職業体験するより、日々の何気ないやりとりで培われる価値観を大切に育むことではないでしょうか。