他者の心・自分の心「サルがレバーを押す時は」

朝日新聞2/8付「心体観測」日本女子大準教授金沢創氏文

 心は目には見えない。だから客観的に知ることはできない。ならば、心とか意識なんて面倒なことを考えるよりも、目で見える、定規で測れるものだけを考える事にしよう。…。

 行動主義心理学と呼ばれるこの流派では、サルやネズミなどにレバー押しなどの行動を訓練し、その行動から動物の心を探っていく。しかし動物に「まずはレバーを押してみてください」と頼むわけにはいかない。

 例えば、初めて実験室につれてこられたサルは、そもそもレバーにさえ気づかないからだ。では、サルにどうやって…。例えばサルが少しでもチラッとレバーを見たとする。そこですかさずエサを与える。これを何度か繰り返すと、サルの注意が次第にレバーに向いてくる。ここでいったんエサやりを止める。するとサルは…。ここが我慢のしどころ。試行錯誤の中、サルの手がレバーに伸びるのをじっと待つ。そして手が少しでも伸びれば、すかさずエサを与える。 

 こうして、適切なタイミングでエサをやりながら、少しずつ目標の行動に近づけていくのである。私はこのやり方を、大学院生の頃、助手の先生に教わった。それは教科書に書いてある通りのことだった。が、実際にやってみると、それは衝撃の体験だった。

エサやりのボタンを右手に持ち、白黒のモニターごしに、サルの行動をじっと見つめる。私はサルに念じていた。「振り向け、レバーに振り向け」。伝わらない思いを伝えたい。ふいにサルがレバーに近づく。と、すかさず「エサやり」というメッセージを送る。それは紛れもなくコミュニケーションであった。

この訓練をずっとやっていると、徐々にサルの気持ちがつかめてくる。そして、気持ちがつかめてくると、訓練は格段に早く進む。行動だけを見よといいながら、その実、うまく訓練するにはサルの心がつかめていなければならないのだ。しかし、それがつかめたとき、手の中にサルの心があるように思えてくる。

そのとき私は、学問の本当に大事なことは、教科書には書いていないことを知ったのだった。

 この文章は幼児と接する人間に大切なことを知らせていると考えます。

 子どももまた、自分の心を表現することが苦手です。覚え始めて数年の言葉で、的確に自分の言いたいことを話しているかといったら違うことのほうが多いと言えます。

 例えば、本当はやりたいのに「やりたくない!」、でも、表情は「やりたい!」という思いが表れているという事は、珍しいことではありません。このように、自分で自分の心もうまく表現できない子どもに大人が持っている思いを伝えるには、まず大人のほうから子どもに近づき、子どもの行動を観察し、子どもの行動に沿った形(タイミング)の中で学習させてあげることが大切で、結果的に早く大人の心を理解してくれるようになるのです。

 子どもは大人が言うことを聞くのが当たり前、と思う時点で子どもの心を置き去りにしていることになり、子どもの主体性や心の成長を援助することにはならないことを、大人は自嘲する必要があるのではないかと私は考えます。

                                     

                          (文、福岡潤子)