東日本大地震の余波

  

千年に一度といわれる東日本大地震は大津波も引き起こし、多くの家々を壊し村や町をさらい、原子力発電所にも甚大な被害を及ぼしました。そして、原子力発電所がもたらした土壌・海・大気の汚染問題により、遠く離れた我々をも見えない脅威にさらされています。なにより、疎開されている方々は相次ぐ余震にさらされ、眠れない夜を過ごしておいでだと思われます。

そんななか、海外の報道では、秩序正しく行動し規範意識をもって助け合う日本人に対し、賞賛の声があがっています。

特にボランティアの方々の活躍は目覚しいものがあります。地震直後から現地入りしたボランティアの方々は、家を失ったことや流通がストップしたことで食べ物・飲み物・衣服や寝具・最低限の生活用品の供給を始めました。

まだまだ地域により差があるようですが、最近は、プライバシーもない体育館生活によるストレスを解消するため、自宅に戻る方々の家の泥を外に運び出し、家をきれいにする仕事もなさっています。

時間の経過と共にニーズが変化し、それに対応する必要性があるといえます。これだけ広範囲の被害ですのでしばらく時間がかかるものと思われますが、一日も早い復興がのぞまれます。

最近の報道をみていると、精神面でのフォローも取り上げられ、やっと子どもたちにも目が向けられてきました。新学期を迎える準備としての文房具・ランドセルなどのほか、サッカーボールや野球のグローブ・絵本や玩具などがボランティアによって配られています。

早速楽しそうにボールを追う子ども達の姿が画面に映し出されていましたが、母親の話だと「昼間はひょうきんに振舞っていても、夜になるとうなされたり海を見るのがこわいと言ったりしている」とのことです。

無理もありません。実際に津波に呑みこまれ怖い思いをしたり大人たちから知り合いが見つかっていないなどの話を直にきいたりしているのですから…。環境の大きな変化の中、子どもたちは自分の思いを素直に表現してよいのかどうかも分からないでいるのです。「こわかった…。」という一言が言えればよいのですが、言ってはいけないと思い込んでしまうのが子どもなのです。

言える雰囲気を作ってあげること、「もうだいじょうぶ、おとなたちがまもってくれるから」と思えるような信頼関係を作ってあげることが一日も早く望まれます。

地震の時に限らず、子どもが口にした言葉はいつもそのまま本心とは限りません。

例えば、お絵かきのときに「描きたくない!」と言い張る子どもがいます。それは「描くことが嫌いだから描きたくない」のではなく、『思い通りに描けない』『じょうずに描けない』からイヤなのです。

そんな時私は「せんせいはおしえるのじょうずなのよ。いっしょにかいてみる?」と言います。すると子どもは必ず『えっほんとう!(じぶんでも)じょうずにかけるの?』といった表情をし、顔がぱっと明るくなります。

年齢が上がれば上がるほど、自分は絵が得意か苦手かわかるようになります。そして、巧く描けないと思うと、最初からやりたがらず、たんに「やりたくない」「上手に描けなくていい」と、言葉で表現します。でも、本当は『上手に描けるようになりたい』と思っているのです。周りの大人は、その言葉が本心かどうか見抜き、できれば苦手を克服する方向にもっていってあげたいものですね。

                               福岡 潤子