11月2日

 子どもの新しい学力観

 

先日、京都大学の西岡加名恵先生の「思考力・判断力・表現力を育てる評価のあり方」―パフォーマンス評価の進め方―という講演を聴く機会がありました。

試験がPISS型に変化した結果(日本の子ども達が世界でトップだったのが13位に落ち、そのまま低迷)から、小学校・中学校などの教科書が大きく変わったというお話から始まりました。

これは、それまでの暗記中心の学力ではなく、演題にあるような力が身につくために変えざるを得なかったからだとのこと。言い換えれば、学力観の転換だといえます。

さて、これまで私は、幼児期に「学ぶ姿勢」を身につけることの重要性を、唱えてきました。

自ら、「視て・聴いて・考える」態度が育つことが学習する上で基本だと考えるからです。

『何のお話だろう。ちゃんと聞こう』『よそみしないで、見る時には見なくちゃ』『ふうん、そうなんだ。それじゃ、これはどうなのかな』というように子ども自身が主体的にそう思えることが大切なのです。

逆に、『聞いて、聞いて。僕(私)の話を聞いて!』『先生やお友達のお話を聞いたり見たりするより、今、僕(私)はこっちを見たいの!』『僕(私)はこっちが好き!だから、自分のしたいことをしたいし、見ていたいの(考えていたいの)!』という状況ではどうでしょう。

そこ(教室)にいることの意味さえ薄れてしまいます。

私どもの教室は満1歳から受け容れておりますので、下から上がってくる子ども達は確実にこの力をつけていきます。そうすれば、どのような状況であっても学習する上での素直さを身につけ、自分のものにすることができる子どもに育っていきます。

ところが、幼児期の終わりの頃に入室してくるお子さんのなかには、それが育っていない子どもがいます。そのような子どもは、今までその子と真剣に向かい合ってくれる大人に会う機会に恵まれなかったといえます。

事実、そのような問題をかかえて「母と子のオムニパーク」にくる子どもも多くいます。でも、1週間2週間と、子どもの態度が変化し、1ヵ月後には確実に言動も変わっていきます。

それは長年子どもと接してきた経験知(幼稚園教諭・幼児教室教師・母親)だけではなく、教職修士・学校心理士としての学術的な見方も含めて教師としてのプロであるという自負と、子どもに対し真摯に向かいあう態度が子どもに伝わるからだと考えています。

幼稚園では5歳児になってから、幼稚園の教師・保育所の保育士にとって「気になる子」の存在が目立つというデータがあります。しかし、保育者がそのことを保護者に伝えても理解されないことが多いのです。

家庭の中と集団では子どもの言動も違うので、無理もありません。また、園内でも3歳・4歳のうちにそれを見極めるのは難しいという現場の声もあります。

一つの目安としては、「望ましい親子関係」にあるかどうかです。

望ましい親子関係とは、互いに一人の人間として認め合い尊重し、コミュニケーションがとれることです。

子どもが幼いうちは、親が子どもにしてあげることが多く、世話(ケア)をする必要にせまられます。そんな時に、結果だけをもとめてはいませんか。

子どもは日々成長発達していきます。今できなくても、半年一年後にできるようになっていることが本人の自己肯定感を育てる上でも大きく作用します。つまり、基本的生活習慣として、身の周りのことが自分の手でできない子どもはいつまでたっても精神的に回りに依存することは容易に想像できると思います。

つまり、やってあげると同時に、子ども自身の手でできるようになるためにやっていることを大人が留意しましょう。

「靴下を履きましょうね。あんよが入るかな。ひっぱって、ひっぱって。ほら、だんだん履けてきたわね。かかとさんも入ってね。よいしょ、よいしょ。がんばれがんばれ。わあ、履けた。」などと、話しながら履かせると、子どもは無意識に、母親がやってくれている行為の手順やコツを耳にしていることになります。

すると自然に興味をもち、自分でもやってみたくなります。ところが、黙って履かせているとどうでしょう。本来は履けるようになっている時期になっても、「履かせて」といった感じで、平気で親の前に足を投げ出す子になってしまいます。

確かに、幼いうちはやってあげたほうが楽です。でも、そこで手を抜くことは、「大きくなってから忘れ物が多かったり不器用だったり、考えることを面倒くさがる子になることを奨励している」ことを意味します。

新指導要録における「観点別学習状況」では、技能・知識・理解は「習得」、志向・判断・表現は「活用」、関心・意欲・態度は「態度」として評価されます。

幼稚園小学校受験でもペーパーといった知識を測るものはすたれつつあります。逆に指示行動や集団での観察といった文字通り「パフォーマンス」を評価される時代になっているのです。

どこどこ幼児教室から某有名幼稚園・小学校に〇人入ったという数字にばかりおどらされるのは愚かなことだとお思いになりませんか。

入園・入学後、伸び悩んだり、家族の一員としてイヤな思いをする子に育つことは、お父様・お母様としての真意ではないはずです。

先回りして答えを与えたりやってあげたりすることの意味、幼児教育の意味を、今一度考える時期ではないでしょうか。

                                   福岡 潤子