5月30日付け

雑誌現代 『6月号』講談社

テーマ 『「裏口入学の神様」が明かす「悪魔の合格術」』 

裏口入学とは言うまでもなく、出来の良くない子供が公平な入試選抜によらずに学校に滑り込む事である。

…親や子の切実で分不相応な願いを実現すべく、画策するのが私の仕事だ。これまで上は大学受験から下は幼稚園まで、十五年あまりでおよそ二百二十人の子供を裏口から入学させてきた。

…今学校の現場では、子供はナイフ、教師は猥褻事件と収拾がつかなくなっているが、ここまで状況を悪化させた元凶は「教育は神聖である」という建前ではないだろうか。建前に押しつぶされて本音の行き場がなくなっているように思うのだ。

十五年間の裏家業を通して私が見た教育現場の本音を聞いていただき、窮屈な建前など笑い飛ばしてもらえれば幸いである。

 

…合格か不合格か、結果は二つしかない入試は一種の勝負事である。…競馬なら鼻の差、将棋なら一手の違い、たとえ僅かな差でもそれは誰の目でも明らかで、敗者に言い訳は許されない。…ところが入試だけは例外なのだ。自分が何点取れたかがわからない。勝敗の分岐点が何点だったのかもわからない。高いテラ銭(受験料)を取っておきながら一切は隠されたままこんな不明朗な勝負がほかにあるだろうか

…八百長ありの学校があり、「入れば官軍」の受験生がいる。ならばその両者の橋渡しをして何が悪かろう。受験は入れば勝ちなのだ。これが私が裏口入学を否定しない理由であり、自分ではみずからを受験勝負師と任じている。

 

多くの私大には縁故点という制度が古くから存在している。教授の師弟がその大学に入りやすいように教授一人一人に持ち点が与えられ、入試の際に自由に行使してよいというものだ。…ほとんどの私大で慣行となっており、有名私大でこの制度がないのは早稲田と上智だけである。私大入試はそもそも、合格者が五百人とすれば七百位くらいまでの受験生がボーダーラインと見なされ、最後に縁故点を足した結果で五百人に絞る仕組みなのだ。当然、七百位からのゴボウ抜きもありうる。

…最初に親子に志望校を三校程聞き、それぞれの学校に出向く。…羊羹の箱の中には一万円札を十枚入れておく。五人の教師に当たれば二人は次に会った時に自宅の住所を教えてくれる。少なくとも、怒る教師は皆無であった。自宅の住所を聞けば勝ったも同然、十万二十万と運べば必ず落ちる。

 

…ところでこれまで早稲田が高い水準を維持してきたのも縁故点という裏口入学を拒否してきたからなのだが、新しく付属の小学校を設立するとあっては、それも先が見えてきた。付属の場合、高校より中学、中学より小学校と下へ行く程縁故入学者の比率が高くなって程度が悪くなる。早稲田も表と同時に裏の収入を当て込んでいるのかもしれない。今後は縁故点も付属もない上智が新たな私学の雄になっていくのではないだろうか。…

いま一番の研究課題は近年とみに需要が多くなってきた幼稚園受験への対応である。下へ行く程程度が悪くなると言ったが、どうして幼稚園は今、侮れないのだ。

二、三年前までは園長に話をつければ簡単だった。だが昨今の「お受験ブーム」で母親達がみな知恵をつけたため、いまは受験生のほとんどが何らかのコネを持っているという状況になってしまった。しかもカネはある。

…本当に五億用意する親もいる。するとどうなるか。意外な事に、実力の勝負になってくるのだ。われわれは入園前の子供など、実力に差があるはずがないという認識を抱きがちだがそれは誤りで、プロが見ればオリンピックの体操のように10・0と九・九の違いがわかるのだ。いま、もっとも真剣勝負が戦われているのが、幼稚園受験なのである。…

どこまでが本当かわかりませんが、現実に慶應幼稚舎の入試関与で捕まった塾長がいた事からも、全てが嘘ではないようです。ただし筆者も指摘しているように、過熱になればなるほど実力の世界になる、というのはうなずけます。しかし、それでも裏口入学をという親の気持ちはなくならないと思います。ですが、こういった裏口入学そのものは時代と逆行していると私は考えます。なぜなら、確実に子供の数が減少していく中で、どのようにして生き残るかが私学の最大関心事だからです。

裏口入学で個々の教師が潤ったとしても、その私学のレベルを引き下げるだけで、長い目で見れば何のプラスにもなりません。まして、このような事が実際に行われている事が明るみに出れば、当事者は犯罪者という汚名を受け、その私学自体のイメージダウンも計り知れません。

ただでさえ、官僚や会社幹部の感覚のずれが問題になっている昨今です。いくら慶應でも、簡単に汚いお金を手にするような教師のいる学校に行かせたいと思う親は何人いるでしょうか。また、支持する親がいたとしても、このような学校が失墜するのは時間の問題です。なぜならモラルの低下や裏口入学による学力の低下など、学校にとって良い材料は一つとしてないからです。

 

 神話は絶対ではないのです。団塊の世代である我々が学生時代には、30年後の今、都立日比谷高校のレベルがこんなにも低くなり、都立に落ちた生徒の受け皿だった多くの私学がこんなにも入りにくくなるとは、想像だにしませんでした。この先2〜3年のうちに変化はなくても、時代が必ず評価を与えます。そしてその時軌道修正しても、我が子にはもう遅いのです。その時点では、今の時点で選んだ私学の教育をしっかりと身につけて、社会に巣立とうとしているのですから。

 

「ある私学の先生は、太ったお子さんが嫌いだ」とか「○○デパートで買った服を着て行くと受かる」など母親達の間でまことしやかに囁かれています。模擬会場では情報収集のため、母親達の輪が出来ては消え出来ては消えというのが現状です。見えないだけに情報に振り回されているのです。

が、『入学してから着実に頭角を現す子供を一人でも多くほしい』というのが私学の本音です。浮き足立って情報に振り回されるより、十数年後に社会がどのように変化していたとしても、その社会の中で自分を表現し順応できるように、日々の生活の中でその基礎を構築する事が、今一番なすべき事なのではないでしょうか。

(文、福岡潤子)