TBSテレビ  11月4日

ここが変だよ 日本人     

この番組は、まず外国の方たちが「日本人のここが嫌い、ここが変だよ」といった意見を出します。それに対し日本人のゲスト数人(テリー伊藤・桝添要一・KONISHIKI他)と司会者の北野たけし、そして「そんなことないよ、日本人いいんじゃないの(?)」と思う人達が反論、さらに皆が思い思いに意見を言い合う番組です。

この回では「日本の親子関係はおかしい」に対し、「日本が現在のようになったのは戦争によって日本の文化が崩されたから」とする日本側からの反論。それに対し「戦争に負けたせいにするな」とさらに議論が白熱。

具体的には(日本の)子供は親を馬鹿にする」「日本の親は子供を甘やかしている」「親子のコミュニケーションが足りない」「コミュニケーションの仕方がわからないんじゃないか」など。

「帰らない女子高生」と題し、次のようなコメントが紹介されていました。《もし、娘さんから友達のうちに泊まると電話で言われたら?》

女子高生の意見「ばれなきゃいい。(親は自分を)信じているでしょ!」。その父親世代の男性達の意見「絶対(娘を)信じている」「俺の子だもん(信じている)」「信じていない。自分の若い頃を考えても解る」

このあと次のような設定で行われた外国の例が3件紹介されました。〔父親が帰宅、そこへいつもなら在宅している娘から、「友達の家に泊まる」との電話が入る〕

「明日は学校も休みだし16歳を過ぎているのだから良い」と心配しない。(アメリカ)

心配で仕方がないので友達の家に電話で確認。居るとわかれば安心。娘に信用していないのではと責められると狼狽。(イタリア)

娘の外泊を許可せず、迎えに行こうとした。「月謝も食費もだれが出しているのか!」とすごい剣幕。(ケニア)

日本側から再度、日本は変わってしまったとの意見が出された。

 

 外国を紹介する番組は数々ありますが、相互理解という意味からはとても貴重な番組だと思います。政治的歴史的に大国も、名もない国も、平等に発言。日本についての率直な感想を言い合っている様子は、平和であることをつくづく感じさせてくれます。

 また、多少こだわりすぎと思われる発言を通し、そのように思わざるを得ない環境を作っている日本人は良く言えば無邪気であり、悪く言えば無神経、つまり地球人として幼い民族だと改めて感じてしまいます。(黒人に対し「どうして色が黒いの」と聞く日本人がいるとのこと)

 外国の方達が隣のお兄ちゃん風日本語で話すことによって、肌の色の違いはあっても感情がナマで伝わってきます。意見のやり取りを通し、お国柄捕らえ方の違いがさまざまであることを視聴者に気づかせてくれるだけではなく、外国の方達にも日本を知っていただく良い企画だと思います

 さて、前置きが長くなりましたが、内容について言えば私もゲストの意見に賛成で、敗戦しなかったら日本はこのように乱れてはいなかっただろうと思います。ただし、だからといって言い訳をしたくはありません。

 私にもちょうど16歳と20歳の娘がいますが、信頼していても心配はします。そして、親に内緒で悪いことをする気であればたとえわずかな時間でもできると思っています。ですから日頃から、良いこと悪いこと価値観に関わることや倫理観に関わることは自分の口で自分の言葉で言うようにしています。

 ダチョウの卵(家庭)からはダチョウのひなが、ウズラの卵(家庭)からはウズラの雛が生まれます。よそのうちがどうとかではなく、うちはにわとりなのか、あひるなのかといったカラーを親がしっかり持ち迎合しないことが大切なのではないでしょうか。そして、卵の中に居る時に、殻をやぶったあともしっかり生きることができるようにする義務が親にはあると思います。

 香山リカさんの「家庭内捨て子」ではないですが、真剣に叱られた経験のない子の存在。日本特有の「お子ちゃま時代(家庭内でも外でも甘やかされ)」を過ごし、将来社会に巣立つ一人の人間として扱われずに成長したのではと思われる子の存在。たとえ偏差値は高くても精神的な成長は望めるはずもありません。自己責任を負ったり、他人を認める事など無理な話です

 たとえ我が子に対し責任を持って子育てをしていても、「子育て」を学習する場もないまま母親になった日本の若いお母さんにベテランお母さんのような子育てが望めるはずもありません。

 昨今、幼児を持つ母親向けの雑誌が書店にあふれていますが、子育ての悩み相談の欄を見ると、答えの欄は一様に「まだ幼いので言ってもわかりませんが、○歳になれば解るようになります」とのコメント。しかし『○歳』になっても同じどころか事態はもっと深刻に。なぜなら子供はどんどん発育し、母親をぶつ力も泣く声の迫力し、きちんと成長した子との違いも増しているからです

 

 1歳児でも話せばわかります。わからないのはボールを投げる側のお母さんの投げ方が下手だから。受け止める幼児の手が届かないほうに投げているのですから、受けられなくて当然です。どのように投げれば幼児が受け取ってくれるのか、幼児をきちんと見ることが上手に投げるコツです。

 コミュニケーションは一つの能力です。大人になって苦労しないためにも幼児期に「何をしたいのか」言葉で表現できることが大切です。つまり言葉は心を伝達する道具(手段)だからです。

 相手の言う言葉をきちっと受け止め、きちっと投げ返すことでコミュニケーションはなりたちます。『娘に言いたいことが山ほどあるけど、言っても聞かない』と諦め、ボールを投げない父親。一年中投げているけれど見当違いのところにばかり投げたり、強すぎて撥ね返され頭にきている母親、ボールを投げているのに受け止めてくれないので、ボール投げ自体をやめてしまった娘、このような図式が見えてくるのは私だけでしょうか。

 コミュニケーション能力の低いことが、相手を分かり合おうとする機会そのものを失わせている、国を支える次代を担う子供達が成長する上で一番大切な幼児教育そのものが、もっと真剣に見なおされるべきだと思います。そして、教育機関として一番小さな単位は家庭、教育を人任せにしたり諦めたりせず、まずはできるところから第一歩を。

 因みに、私自身も年頃の娘に対するボールの投げ方はまだまだ手探りと言えます。直球・変化球と投げ方を工夫し、ボールも卓球用からバスケット用、はてはラクビー用といろいろやってみました。投げるほうも大変ですが、受け止めるほうもしんどいと察します。足りないところがたくさんある娘達ですが、一人の人間として信頼できる、と少し思えるようになったのは『今のところキャッチボールがうまくいっている』とまがりなりにも実感できるようになったからでしょうか。

 

                       (文、福岡潤子)