毎日新聞  11月24日

わははで子育て(保育ママ はまな つぐよ)   

(全文紹介)

 副題 「子供は24時間かわいいか」

 私が保育ママになって以来、常に赤ちゃんや幼児を身近に見てきた娘が「子どもってかわいいけど大変よね。大人の思う通りに動いてくれないし。どんなにかわいくても、24時間一緒にいたら、親がキレるのも無理ないわ」と言う。

「孫は文句なしにかわいい」というけれど、それは「来て嬉し、帰って嬉し」で、好きな時だけ遊んだり世話をすればいいからだ。泣かせないために子どもの好きなようにさせがちなのも、親と違って将来についての責任もないからだと思う。

そして対等であるべき父親も、責任は回避して子どもとはただ遊ぶだけの「いいとこどり型」と、家族の事より自分の世界に生きる「自分第一型」がまだまだ多く、母親の負担は相変わらず大きい。

生まれた時からよく寝て、ぐずることも少ない子もいるけれど、そういう親孝行な赤ちゃんは少ない。「おろすと泣くので抱きっぱなし。腱鞘炎で大変だったわ」とマユコさん。「家事も出来ず、睡眠不足で、子どもをかわいいと思う余裕なんてなかったわ。夫も協力的じゃなかったし」とキクコさんの過去も暗い

自由だったシングル時代とのあまりのギャップに、ブルーな気持ちになるのも無理はない。これからの時代はリフレッシュのために子どもを預けられる環境を作ってあげないと、不本意な幼児虐待をしてしまう親が増え、多くの不幸な子どもが作られてしまう自分の分身だったかわいい天使が、「イヤだ」とか「ダメ」ばかりを連発する頃も、親にとっては虐待しそうな危険な時期だ。

明日のことをまだ考えられない1、2歳の子に「手を洗わないと云々」という説明をしたり、「洗ったらあげる」と交換条件を出しても、まだ効果は少ない。ときには気をそらして、ぱっと大人が実力行使をすることも必要で、子どもはそんな時怒って泣くこともあるが、まもなく前のことを忘れてしまう。

「やらなくてもいいよ」とわざと反対のことを大人がやると「やる!」と答えたりするので、駆け引きを楽しむつもりになると余裕も出てくる。

「加減」を知らない子どもと、対等になってケンカをしても始まらない。まずは「イイ加減にしなさい!」という言葉を使わない」と誓うだけで、子どもとのイイ関係が始まるかも。

 

 はまなさんがおっしゃるように母親のリフレッシュのために子どもを預けられる環境を作ってあげる事はとても大切なことです。家の中で母子二人っきりでいたら、ベテランママだって滅入ってしまうことでしょう。子どもを保育ママに預けて気分転換をしたり、仲間とおしゃべりを楽しむことが出来れば、ずいぶんと気分が前向きになります。

が、母親がたまに気分転換をしたからといって、子どもが自分の思うように動いてくれるようになるのでしょうか。母親の我慢の限度が変化するだけなので、家に帰って何時間かすれば「元の木阿弥」。これではなんの解決にもなりません。

それではどうすれば良いのか。まず第一に子どもは大人の小型版ではないということを知ることです。幼児は日々の身の回りの出来事を通していろいろな事を学習していきます。文字通り発達途上なのです。親から見れば「またやっている」と思うようなことでも、子どもにとってはその時々で意味が違っていたりするのです。

つまり、子どもの視点・価値観を理解すること30年近く幼児と接しているとこんなにも大人と子どもでは物の見え方捉え方が違うものかと驚きの連続です。母親が見ているものと同じものが幼児の脳裏にも映し出されていると思うことは、大きな間違いなのです。

次に大人の視点や価値観を知ってもらうように努力することです。文中には「ときには気をそらして、ぱっと大人が実力行使をすることも必要」とありますが、それでは本人はいつまでたっても「なぜ、そうしてはいけないのか。なぜ、そうすべきなのか」解るようにはなりません。つまり、考えて行動する子には育っていかないのです。

『知ってもらう努力をしている、でも解ってくれない。』という声もあります。それは、母親の『しないで!』という気持ちを子どもに伝える方法、つまりコミュニケーションの仕方に問題があるのです。

文中に『明日のことをまだ考えられない1、2歳の子に「手を洗わないと云々」という説明をしたり、「洗ったらあげる」と交換条件を出しても、まだ効果は少ない。』とありますが、どんなに小さな幼児でも話せば解る、と私は思っています。

事実、ひっくり返って怒っている幼児や皆と関わろうとしない幼児でも、入室後、積極的に人の言うことに耳を傾け、落ち着いて行動する子に皆なっています。保護者の中には「福岡マジック」という言葉を使う方もいますが、マジックでもなんでもありません。自分の思っていることを幼児に伝え、幼児の思っていることを受け止める、といったコミュニケーション能力が若いお母さん方より優れているだけなのです。なぜなら子育ては学習していくものだからなのです。

 

日常幼児と接していると、その場の状況によっても許されることと許されないことが起きてきますし、どこまで許してどこまで我慢させるべきかなど、若いお母さん方には迷うことも多々あって当然です。

そんな時、情報化の現在どこにでも答えが転がっていそうなのですが、ちゃんとした答えは見つかりにくいものです。なぜなら、手に入れた情報が我が子にも当てはまる確率は非常に少ないからです。

母親が十人十色なら子どもも十人十色。その組み合わせときたら大変な数で、相性の良し悪しや家族の中での位置(長子か否か、一人っ子か等)によっても複雑に育ち方の違いが見られます。また、同じ子どもでも半年前までは言えたことが現在には通用しないのは、日々成長することが宿命の幼児を相手にしている以上、仕方のないことなのです。

筆者が最後に『イイ加減にしなさい!という言葉を使わないと誓うだけで、子どもとのイイ関係が始まるかも』とおっしゃっているように、子どもとのイイ関係を作るには、日常どのように接すれば良いのかを知っていくことのほうがより重要なことなのです。

 

母と子は、「こんな子は私の子じゃない」「勘当する」と言っても、どちらかが欠けるまで母子であることは消えません。幼児虐待に走る前に、どのようにしたらそうならないですむか考え、努力し、子育てそのものに意義を見出してください。主たる保育者が母親であることは、幼児にとって紛れもない事実なのですから。

幼児期のかわいさは一生の内のほんのわずかな期間だけです。子育てほどエネルギーが要り、エキサイティングなものはありません。その時期を漫然と過ごしては、母親になったことの楽しさおもしろさのほとんどを知らないで終わってしまうことになりかねません。

こちらから歩み寄ろうと思えば、「子ども」の姿が見えてきます。その中で色々な言い方・態度を工夫してみて下さい。そして、自分の思うように行動してくれる子にしたいのなら、自分のイライラを子どもにぶつけないよう自分自身の耐性を高めること、つまり母親としてプロになって下さい。子育ては根気と忍耐そのものなのですから。

                           (文、福岡潤子)