春奈ちゃん事件

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 長男のお迎えにきていた母親が、幼稚園の園庭で目を離した5分間の間に、2歳の女児が行方不明。二日後、同じ幼稚園に我が子を通わせている母親が警察に出頭。「園の近くの公園のトイレで、女児(春奈ちゃん)の首を、女児がしめていたマフラーで絞め、殺害。バックにつめて実家に運び庭に全裸で埋めた。」と供述。

容疑者は「長い間に心理的なものがあり、言葉で表すのは難しい。」と、供述。双方の子供達が名門幼稚園や小学校を受験していた事から、受験をめぐる親の感情のもつれが背景にあるとの見方もあり、動機を追及中。(11/26現在)

 

 私がサンデーモーニングの依頼でインタビューを受けたのは、27日土曜日でした。その段階ではどの局も受験に熱心な土地柄で起きたことを一番に取り上げ、「すわっ、お受験。」とばかりに、批判的な意見を前面に押し出して報道していました。以下は、まず最初に私がディレクターにお話した内容です。

・今回の事件について 受験が原因と片付けるのは非常に危険、もっと深い部分があるはず 最近は自分の感情をコントロールできない若者が多くなってきていますが、そういった人々がそろそろ母親になってきていると、私は考えます。

 世の中には思い通りにならない事のほうが多い。自分の思い通りにならないと、怒ったりすねたりして相手にあたったりする行動が子供たちに多く見られます。思い通りにならない時に、自分の気持ちを整理し前向きに持っていく力を幼児期に身につけさせるということをオムニパークでは行なってきています。問題解決能力や前向きに生きる術を身につけずにきた世代が、若者だけではなく、そろそろ母親になってきているのではないでしょうか。」

・コミュニケーション能力の不足  最近は幼児虐待といったことも多く耳にしますが、幼児が自分の思い通りに育ってくれないといらいらし、虐待してしまうケースもあります。そんな時、親の側のコミュニケーション能力が高ければ、幼児は親の言うことをしっかりと理解し、お互いに気持ちよく生活する事ができるのです。親子間のコミュニケーションを、キャッチボールに例えてみます。言葉がボールです。

「私はこんなにボールを投げているのに、子供はちっとも言う事をきいてくれない」と、お母様方はお思いですが、多くの場合お母様方は子供が取れない高さにボールを投げているのではないでしょうか。幼児が手を伸ばしても届かない高さにボールを投げているのですから、幼児は何か飛んできたと云う事は認識できても“何色のどんな模様のボールなのか”は解らない。つまり、母親が自分に何を言っているのかが、そもそも伝わっていないのです。

 幼児の体は小さく、ボールを受け止めるのも下手です。お母様の方で、幼児の手の中に入るボールを確実に投げなければ、幼児には何も届かないのです。幼児だけではなく、お母様方もコミュニケーションをとるのが上手でなくなってきています。なぜなら私の持論“出産は本能、子育ては学習”だからです。今のお母様方は子育てを学習してきていないので、このようなコミュニケーションの取りかたさえ習得している方が少ないことが、子供との間の閉塞感につながってしまうのです。

 

 

ディレクターの方にいくつか質問されました。以下のようなことを答えました。

・幼稚園受験について 

試験はお見合いのようなもの志望校を決めるまでは見合い相手を選んでいる状態です。つまり主導権は受験する側にあります。が、試験当日は見合い当日と一緒。どんなにこちらが相手を気に入っても、相手(学校)が受験する側を気に入ってくれなければ、成立しないのです。この例からもお解りのように、誰が見てもすばらしい子がいても、相手の好みでなければ失敗するということが幼稚園受験では起こり得るのです。

私学は自分の学校の建学の精神や教育方針に絶対の自信とプライドを持っているため、良くも悪くも入学して欲しいと思うタイプの子がはっきりしています。

 お見合いや就職試験でうまくいかないと、『相手が気に入ってくれないのは、自分自身になにか欠陥があるのではないか』と思うようになる傾向があると聞きますが、幼稚園受験でも同様の心境に陥りやすいという事が言えると思います。超がつくほどの有名校の場合、親子ともその幼稚園・小学校に入学する力があったとしても、その中のごく一部しか入園・入学できないという現実があります。つまり、力があったとしても確率からすれば失敗する確率のほうが非常に高いのです。ですから受験に失敗したと落ち込む方がいたら、その方は現実をしっかり把握していないと言えます。

 

選ぶ側の主観によるものが大きい誰がつけても同じという形で点数化がされている訳ではないからです。もちろん、積み木や粘土遊びにしても、ある基準はあっても全員が全員まったく同じ評価点数になる訳ではないからです。教育方針が同じである本校と系列校間で、系列校で落ち本校で受かった例もあるぐらいです。本校のほうが倍率も高くレベルも高いのですからこのような結果は考えにくいと言えます。が、試験が違えばこのような事も起こり得るのです幼児の事ですから、その日の体調や気分で違うという事もありますが、わずかな時間の中で審査しますので、ボーダーライン上に居る何人も合否は、非常に流動的だと言えます。

質の変化。これまでも、小学校受験ほどペーパーは要求されないできました。が過去においては、幼稚園入園前にここまで知っていなければいけないのかと思うような試験がありました。最近は、行動観察などが重視され、幼児を多角的に見るテストが多くなり、付け焼刃ではなく、日頃の生活態度・環境が計られるテストになってきました。両親には、「養育するにふさわしい環境と考えを持っているか。」幼児には、「健康で、年齢にふさわしく知的に発達しているか」という点が計られています。

 

・試験前の私の心がける事  安心させ落ち着いて試験が受けられるようにする  日頃落ち着いている母親であっても、テストが近づくと精神的にぴりぴりしがちです。いわゆる受験塾だと塾の方でも保護者にプレッシャーをかけますし、保護者同士でライバル視し精神的に不安定になりがちですが、それでは合格するものも合格できません。日頃培ったその子の力が本番で出るように、母親の気持ちを安定させることが私の役目です。

 

・母親間での軋轢について  大手の受験塾では毎回の模擬で点数化し母親達にプレッシャーをかけています。目的を持つ事は良いのですが、通う事で皆が一つの方しか見なくなり、合格するためにはと必死になってしまったり不安になるというのが現実です。

母親間で情報が飛び交い、「ここよりどこそこの塾のほうが良い」と聞けば移る。母親同士の派閥が表面化し、クラスの半数がその塾をやめ他の塾に移った。「どこそこデパートの○○写真室で撮ると合格する」と聞けば、皆がそこで撮る。といった具合に、試験を受ける事の本質が見えなくなってしまうということは見聞きします。

オムニパークでは、受験はあくまで通過点と捉えています。幼いうちに私学に入っても、昔と違い必ずしもエレベーターとはいかなくなって来ています。レベルの高い学校に入れば入っただけ、入園・入学してから伸びる力を本人につけておかなければ、結局落ちこぼれつらい思いをする事になってしまいます。それには、まず母親自身が本物を見ぬく力を持たなくてはなりませんつまり、まわりの情報にふりまわされず、今何が大事で何をなすべきかをしっかりと知り実行できるように指導しています。

将来、“自分を活かして、人を認める”ことのできる人に育って欲しいと私は考えています。ある時「子供たちもそうですが、私自身も良いお友達ができた事が、オムニパークに通って本当によかったと思うことの一つです。」という声が卒園したお母様からよせられました。子育ての大変な時期を共に過ごしたという意識だけではなく、お互いの子供たちの成長を見続ける中で、我が子も育っていった感謝と、励ましあった思い出がそうさせるのではないかと思います。また、「オムニパークでは母親が変わると、よく聞きますが、最近その意味がとてもよく理解できるようになりました。」という在籍のお母様からの声もあります。通いつづけられることで、私の考えに賛同するだけではなくお母様方もその生き方を身につけられたのではないかと、自負しております。

 

                    

                       (文、福岡潤子)


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