25、コミュニケーションの手段としての言葉を見直そう

 私は1、2歳児を相手にしている時、何度も「お指で指さないで、お口で言いましょうね」という言葉を口にします。

最初の内子供は何かして欲しい時、その場所に大人を連れて行くなど体で表わしたり、「う、う」と言葉にならない声を発します。

そんな時私は「○○がほしいの?とって!って言ってみましょう」と言います。「とって!」の「て!」だけでも言うと「わあ、上手に言えたわね。何かとってほしい時は、とってって言えばいいのよね」と褒めながら、言葉の持つ意味と効果を教えます。子供はここで初めてコミュニケーションの手段としての言葉の存在を学習するのです。

そんな子達も言葉がわからないのではありません。一人で遊んでいる時は覚えた単語を口にしたり、知っている物を見つけると名前を言ったりしているのです。ただ、口から発した言葉が伝達手段として機能した経験がなかったのです。

 

幼児もごく幼いと、日常生活で言葉の必要がありません。子供が何をしたいのか多くの母親はその表情で理解し、意志を言葉で表す前に先回りしてくれるからです。しかし、度が過ぎると幼稚園に入っても自分の意志を言葉で言えず、友達や教師とコミュニケーションが取り難い子に育ってしまうのです。

それを防ぐ為にも、まずは日常生活の中で、幼児から何か言って来て初めて動くように母親は肝に命じる必要があります。

 

 今学校教育の中でディベートが流行っています。物事を多角的に捉え相手の論拠の弱さを探り、自分の正当性を相手に伝える術は、日本の土壌の中ではなかったものです。

 しかし、ある年齢になってからディベートを云々する前に、言葉の果す役割を知らない幼児の内から、コミュニケーション手段としての言葉をしっかり身に付ける事の方が大切ではないでしょうか。そうしたもの無しにディベート能力を養っても、砂上の楼閣でしょう。

私は幼児に言語は自分の意思を伝える手段であり、相手の意思を理解する道具である事を教える事をもっと重視すべきだと考えます。ただ「こうしたい」だけでは一方通行です。言葉を通し相手の意見や感情を理解する体験を多くして、集団の中で自己表現法としての言語を身につけ、相手との調整が言語を通して出来ること。そうした事を早い時機から身に付けさせ、言葉をコミュニケーションの手段として十全に扱えるようにしてあげたいものです。

 

 

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